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地獄が待っている

 鉄玉郎は勃起していた。極悪人のような行動ばかりしているように見えるが、それでも人の子……たまたま、居合わせただけの罪のない子供の命まで奪うつもりは、毛頭なかった。血も涙のない凶悪な怨霊女の行動を止めさせ、世界の平和を守ろうとしただけなのである。ところが、子供の両足首を持って、扇風機のように振り回していたら、(このまま、力の限り全力でッ! まったくなんのためらいもなく、超高速でッ! 子供を壁に叩き付けたら……、どんなにッ! すかっとッ! することかッ!) と、思い始めてしまったのである。
 もっともな話である。確かに、一見非人情で冷酷な話のようには見える。しかし、少し考えてみれば、誰でも鉄玉郎の心の動きに納得ができるのではないか。
 例えば、あなたが、もの凄い高さの崖の上に立って、下を見下ろしてるとしよう。下には火曜サスペンス劇場で、マネキンが飛び込むような濁流のリアス式海岸である。あなたは、家に帰れば美しい妻と、かわいい子供がいる幸せで保守的、現状に満足しきっている四〇歳のお父さんだ。体位だって正常位しか使わない。誰でも、下には絶対に落ちたくないと思うであろう……。
 ところが、そこが人間の心の不思議さであるッ! 心の奥底……得体の知れないあなたの腐り切った魂の沈殿物が、ふくふくとメタンガスを発酵させながら、淀んでる一角では、(このまま、飛び降りてしまえば……真夏の炎天下にダイエットじゃない方のコカコーラを飲んだ時のように、すかっと爽やかな気分になるのではないかッ!) という、押さえきれない願望で、身も心もオナニーを始めんばかりに、情欲の嵐に翻弄されるに違いない。それが、人間というものである。お前、あなた、君、あんた、貴様、俺、私……、全人類すべてがそういう心の動きをするように、太古の昔からDNAにプログラミングされているのだから、仕方がない。
 または、あなたはどういう訳か、超高級な国宝級の皿を手にしているとする。その時価、数兆円ッ! むしろ、金額的な価値よりも、その日本人の魂の源とでも言うべき、重要さに、あなたは恐れおののき、手の震えが止まらない。これを壊しでもしたら、確実に大暴動が起き、あなたを始め家族親戚までが、人前で生きたまま手足を引きちぎられて処刑されるであろう。そのような、馬鹿らしいお皿。
 もちろん、何があっても、これを割ってはいけないと思うのは、当たり前のことである。ところが、そんなものだからこそ、あなたの心には、悪魔が忍び込み、耳元で小声で囁く。(これを床に叩き付け、粉々にしたら、さぞやすっきりするだろうな……) 囁きは止まらない。鼓膜に灼熱のハンダゴテを突っ込んで鼓膜を焼き破っても、悪魔の声はいつまでも聞こえる。もちろん、最後には実行してしまうのだ。なんぴとも、逃れられない。地獄がお前を待っているのだ。
 鉄玉郎の心の中の動きは、これと同じようなものだった。鉄玉郎も、この子のように幼少期は貧しかった。自分の命を守るため仕方がなく、心の中で掌を合わせ謝罪しながら、子供を盾に使った。確かに劇的な効果はあった。しかし、すぐにそんな下劣な行動をする自分に、嫌悪感でいっぱいになり、胸が苦しくて堪らなくなった。そこで、子供をやさしく床に降ろして、逃してあげようと思ったのだ。ところがである……。
 悪魔は、どうして俺を見逃してくれないのだッ! 俺は悪くないッ! 邪悪なッ! 悪魔がッ! 俺にッ! 狂人のような行動をさせてッ! 止まないのだッ! 突如、むらむらと(この腐れガキを壁に激突させたいッ!) という感情が、嵐のように沸き上がって来たのだッ! 俺の頭の中が、ハリケーン! はっと気が付いた時には、子供の柔らかい頭が、石の壁にめり込んでいた。もちろん、豆腐のようなものが、固いものにめり込む訳がない。豆腐の方が、へっ込んでいるのだ。走馬灯のようにゆっくりと子供が床に落ちた。この瞬間、子供の心の中でも、走馬灯の上映会が行われていたに違いない。そう長くは生きていないのだから、ショートムービーだ。無意識のうちに耳から豆腐が出ていないか探したが、出てはいなかった。動きにくいな、と思ったら、性器がズボンの前を突き破らんばかりに、勃起していた。日本人にしては、サイズが長かった。それが人生において得だったかどうかは、未だによくわからない。欲望と歓喜で、鉄玉郎の目の前が、白夜の南極大陸のように、真っ白に光り輝き、なにも見えなくなった。白い炎ッ! 冷たく、かつ、灼熱だッ! 燃えているッ! 俺の氷が、ばちばちと轟音を立てながら、炎上しているのだッ! お前に、俺の魂の中の白熱が見えるかッ?
 「ほんのちょっと脅そうと思っただけだったのに……」 鉄玉郎は、動かない子供を見て、自信なさそうに呟いた。足の先で、子供の身体を、突っついてみた。ぴくりとも動かない。念のために、手の上を強く踏んでみた。踵の下で、細い骨が折れる感触がしたが、子供は痛がらなかった。だめだこりゃ。
 呼吸の止まった子供を見た瞬間、鉄玉郎は(やってしまった……) という後悔の気持ちと同時に(やったあ……) という歓喜に満ちた気持ちが、沸き上がるのを感じた。コーラを飲んだようにすっきりしたのだ。
 女子大生の怨霊は、鉄玉郎の股間が固く突き出ているのを見て、我が目を疑った……。罪もない子供を殺しておいて……、この男……、欲情しているッ! それはどこかで見た光景だった。この状況は体験したことがある……。それは、八〇年代に、自分の身に、今いるこの部屋で起きたことに似ていた。女子大生は、鉄玉郎の股間と、自分を犯して殺した男のカッターナイフで、できた股間の区別が付かなくなっていた。女子大生は怯えて、泣き始めた。
 
 恐怖。
 
 女子大生は、あまりにも非人間的な怪物、鉄玉郎に恐怖を感じた。どれほど恨みのこもった悪霊、怨霊よりも鉄玉郎は、狂っていたのだ。聖なる狂気である。イエス・キリストだって、あと一三回くらい磔になれば、鉄玉郎の域に達するのではないか。がんばってもらいたい。生きていない人間よりも、冷血な男、鉄玉郎ッ! 女子大生幽霊は、寒気を感じて、がたがたと震え始めた。風邪を引いたのかも知れない……。そう思ってから、その異常さに気が付いた。(幽霊が寒さを感じる訳がないではないか……) 彼女は錯乱した。なにか、おかしいことが起き始めていた。
 
 
425枚目
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神田森莉(ハム社長)というホラー漫画家、自作楽器製作家。

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